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御祭神

伊邪那岐尊・熊野速玉大神 (イザナギノミコト・クマノハヤタマノオオカミ)
伊邪那美尊・熊野夫須美大神(イザナミノミコト・クマノムスヒノオオカミ)
​伊勢の皇大神宮に祀られる天照大神の父母神様

由緒

当神社は慶長年間(1596~1615)八乙女淡路守盛昌が藩主国分氏の没落後、伊達政宗に旧領地を許され実沢八乙女の館に移り住んだ折、氏神として勧請したといわれています。
八乙女氏が北根村に転出すると、後水尾帝(ごみずをてい)の元和元年(1615)には現在の地に社殿を造営して奉遷し実沢地域の守神としてお祀りしました。
境内には嘉永五年(1852)建築の修験道場があったが、昭和五十三年(1978)の宮城県沖地震で大破した。現在はその場に社務所が建っている。現拝殿には虹梁(こうりょう)、海老虹梁、大瓶束(たいへいづか)など、旧道場の部材が部分的に利用されています。
明治5年(1872)村社に奉られ皇室の弥栄と氏子崇敬者の家内安全、五穀豊穣を祈願してまいりました。
境内には八乙女氏ゆかりの鞍掛石(くらかけいし)力士石(りきしいし)があり、また鳥居脇にあるコウヤマキの大木は区内随一である。 近年の泉区の発展によりご参拝の方も増え実沢地域(現在の泉区実沢、館、南中山、北中山、西中山、寺岡、紫山、高森の一部)を始とする多くの方々より御崇敬を賜っております。

力士石鞍掛石

本 殿

三坪建 銅板葺流造

拝 殿

巾四間奥行二間回廊付 鉄板葺流造

神 輿

けやき造 八人かつぎ

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